私が幼かった頃(昭和後期〜平成初期)と
令和の子育てで一番違うなぁと感じるのは
やっぱり「物に溢れている」点。
私が幼稚園生の頃の話です。
たしか幼稚園の友だちから知ったのだと思うのですが
何やら キキとララ というキャラクターがあって、すごい可愛いぞ、欲しいぞ、となったんですね。
で、幼稚園生のわたしは母にキキとララの物が欲しい!と懇願しました。
母は買い物先で一生懸命キキとララを探したらしいのですが、見つからず。
店員さんにも尋ねたけど、知らなかった、と言いました。
私はそのときの落胆を未だに覚えてるんです(笑)
見つからなかったのには原因があって、
私が母にキャラ名を「キキとララ」ではなく「キキトラ」と伝えていました。
4人目高齢出産で当時46才くらい、
田舎に住む母にとって、サンリオがどんな存在だったかわかりませんが、キキトラと聞いてそれがキキとララだとわかることも、今みたいにインターネットでちゃちゃっと調べることも出来なかった情報の少ない時代。
その後も私はしばらくキキとララのアイテムを手に入れることができず、もどかしくしながらも、庭や川の草花や虫で遊んで時間を過ごしていたわけです。。。
これが令和だったらね、情報の断片だけでもすぐ色々でてきて、他のマッチング情報まで入ってきます。
ものと情報の適量とは
欲しいものが手に入らなすぎると
以後の過剰な物欲に繋がってしまう事もある気がするし、
際限なく手に入れて
物と情報に囲まれて暮らすのも
なんだか溺れているように見えなくもない。
子供に物を買い与えるとき
溺れさせやしないか、と考えます。。
子供の興味がカラカラに乾かないうちから
次のものをどんどん与えるのは
なんだか違うような気がして
でも次から次へと良いものは発見できてしまう。
自分は興味がカラカラになるまでなめ尽くすしかない環境にいたからですかね。
時間がたってみないと、
どの程度が適量なのかは分からないのかもしれませんね〜。