今日は私の「自分探し」の話と、
そこから子育てのことも少し。
以前、ある好きな人が言ったことば。
『世間/大衆と自分を同一化するのが「自分らしさ」になっている人が一定数いる。
そういう人は学校を出るとき「自分探し」をしなきゃならなくなる。自分らしさを保っていられた人は、自分を探す意味すら分からない。
自分はいつもそこにいるものなのだから。』
私は前者として育ちました。
みんなと同じ、フツーが良くて
普通であること=私
世間様全員に認めれる=◎
みたいな。
今も多少はないことないけど、できるだけ他人に左右されず自分らしく生きたいなと思ってる。
大学で就活が始まる頃に
「私がやりたいことって?」
「そもそも私ってどんな性格だっけ?」
「なにが得意でなにが不得意だっけ?」
「私に合う職業ってなに?」
なんてことをやったっけな。
あと業界分析とかあったなぁ。
エニアグラムのような性格診断や自己分析も本やネットで手あたり次第やってた。
私は国際経営とロジスティクスを専攻していて
理系学部のような専門性で胸を張れる物がなかったし
ずっともやもやフラフラしてた。
専攻に近い分野の大企業を受けるも、ことごとく落ちる。
会社選びは、今思えば大手かどうかやブランドのようなイメージで選んでた。あと給料。
(大学生なんて大半はそんなもんじゃない?はーイヤ違いますね、すみません)
つまり、自己分析なんて意味がなかったww
(就活の自己分析は有意だと思いますが私は占いのような使い方しかできないバカな大学生でした)
結局なんとか内定をもらえた会社に入った。
ぶっちゃけ気の進まない会社だった。(入れてくれたのにすみません。)
気が進まないのに入った理由。
親からの就職プレッシャーは全く受けなかったのだけど
もうただあれです、
「大学に行ったんだからなにがなんでも内定を取って新卒で働くべき」というレール型固定観念と「周りの目を気にした事」による。
当時、年上の友達が「オマエ本当にそれでいいのか?」って何度も言ってきたの。彼は就活大成功してたのもあってイヤだなってスルーしたけど、間違いだった。彼が伝えようとしていた大事な事に気づいてなかった…。
入った会社で死に物狂いで頑張って新人のなにかで1位など取っていたが
どうも身が入りきらず、
なんか違う、なんか違う、
私はこんなところにくるはずじゃなかった、と毎日思っていた。
わりとモラハラ体質&セクハラあり会社だったのもあり超嫌になり退職。
その後、半年ほどブライダルのバイトをしながらゆっくり暮らす中で
自分を振り返って、内省しまくった。
「本当の自分の気持ち」「自分が本当にやりたいこと」なんてそもそも必死で「考える」必要のないもののはずなのに。
あの時ほど自分のことを考えて苦しい時期はなかった。
そしてやっと
やりがいを持って働けそうな仕事に出会って落ち着いた。
幸福度が全然違った。
いままで自分で自分が見えていなかった。
なんていう選択ミスと回り道をしたんだろう、なんで気づかなかったんだろうと思った。
たま~に、
小学生10代20代からもうやりたいことの軸というか、方向性が確実にあって目をキラキラさせて前に進んでいる若者を見るといいなぁ~~と憧れる。心底応援したい気持ちになる。(枯れたオバサン目線)
彼らに「自分探し」は必要ないんだよね、きっと。
自分はいつもそこに見えているもの。
経験から子供に思うこと。
くま吉らしく、まる子らしく
自分らしさや自分の考えを保てるように見守りたい。
周りを見つつも左右されすぎず
幸せに育って欲しいと思う。
そう思って育てても
学校に入ってしまえば親の存在なんてさほど…ね?
思春期なんてどうなるだろうなぁ…?